ふだんから無意識に周りの感情や空間を感じとっている自分。でも周りの人はそんな気にしていなそうだ そう感じたことはありませんか。
気づくと脳内で自分ともう一人の自分が対話している感覚。これが普通と思っていたこともありましたが、どうやら違うらしい!と。
調べることそして納得することが好きな私は、ウェブ、YouTube等あらゆる手段を使って自己分析を始めました。すると、これは私の気質によるものであって、個性であり長所であると気づきました。
その気づきを共有します。
こんなシーンが続いた
・身の回りで対立している人がいると、「自分のせいかも」と反射的に思ってしまう
・話の裏にある本音を感じ取ろうとして、会話の後にひたすら考える
・対立関係にある人たちはそれぞれの考えと正義があり、どちらの背景も理解できてしまう。そして、どこか良くなる点があるはずだと首を突っ込んでしまう。または突っ込みたくなる。
・人の発言の背景を理解するには過去を知ることでさらに深く理解することができると考えている
・何に取り組むにも私を俯瞰してみている私がいる
・無意識に顔色を読み、自身の発言を考えている
・ネガティブニュースを見ると心が酷く痛み、無力感を感じてしまう
これは「普通」じゃなかったかも
思い切りのめり込んでいる人たちをみて、これはみんなが持っている感覚ではないっぽいこと察していきます。そして、深く理解することで相手の発言の意図も読み取りやすくなることに気付いていた私は、無意識に相手にも求めていたことに気づきます。
・私の会話のターンの時、相手が理解していることを再度説明して時間を取るのは申し訳ないからと簡潔に話してしまう→言っていないことは察してね と思っていた
深く理解することが正解ではないし色々な考えがあって良いと思っていますが、どこか片隅に寂しさを感じたのも覚えています。
この特性の正体は
自己分析を行い、さらに人に対しての理解を磨こうと決意します。 しっくりときた私の正体は、
・INFJ
・HSS型HSP
どうやら私はこのタイプに当てはまるようで、納得いくものばかり。自己診断だけではブレが生じるのでAIにも診断してもらいましたが、同様の結果となりました。
次回以降この2つについて詳しく書きたいと思います。
今では強みと呼べるように
おそらくこれを見てくださっている方には、この特性に当てはまり、落ち込んでいる方もいるのではと思います。
なぜ自分はここまで気にしてしまうのだろう、なぜこんなに感情を吸収してしまうのだろうと。
でも、その特性は素晴らしいものだと気付いて欲しいです。
当事者として言えることは、
・深く理解することは誰にでもできることではない、相手を尊重する力となっている
そして、診断にある以上仲間も一定数いること、悪いことではなく特性の一つであり長所だと。
終わりに
気付いたきっかけははっきり覚えていない、でも確実に私の中での洞察力は育っていました。
これを言葉にして届けられる今からが、楽しみでなりません。
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